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底辺高校に入学することで得られる、進学校の生徒へ対するアドバンテージ

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画面の前でこれを読む読者のあなたが、もしも現役で低偏差値の底辺高校の生徒だったとしたならば、今年春に底辺高校を卒業した僕から伝えたいことがある。

確かに底辺高校と進学校を比べてしまえば、生徒の質はもちろん教師の質、部活の質さえ雲泥の差だろう。荒れ放題の校舎、倫理観の欠片も感じられない不良生徒、目の死んだ教師、そんな世界に身を置いていると、己の未来もまた暗いものに思えてくるかもしれない。

しかし案ずるな、底辺高校生諸君よ。

君たちはひとつだけ、進学校の生徒がどれだけ背伸びしても手に入れることのできない、言ってしまえばお金と同等の尊さを持った、時間という非常に大きなアドバンテージを持っているのだ。

 

進学校の生徒より中身の濃い24時間を作ろう

進学校の生徒だろうが、底辺高校の生徒だろうが、1日は24時間であって1時間が60分であることに変わりはない。人間社会には様々な格差があるけれど、唯一時間だけは全ての人に平等に与えられているものだ。

ごく当たり前の話ではあるけれど、進学校の生徒は試験に向けた勉強、ひいては受験に向けた勉強に多くの時間を割くことを強いられてしまう。要領の良い生徒であればその時間は自ずと短くなっていくものだけれど、凡庸な才能しか持たない一般的な生徒はなかなかそうもいかないだろう。

したがって、進学校の生徒には自由な時間が少ないのだ。

対して底辺高校の生徒は勉強をする必要がない。僕の通っていた底辺高校を例に取ると、期末試験は問題の半分以上が簡単な選択問題を占め、しかも赤点は10点以下。科目によっては10点以下でも赤点にならず、赤点になっても進級、そして卒業は可能であった。

もちろん授業への出席は求められるのだけれど、授業中に寝ていてもまったくお咎め無し。生徒の8割が机に突っ伏していても平然な顔で授業を進める先生のメンタルは大したものだと思う。

更に夏休みでさえ宿題が出なかったので、放課後や休日は完全に自由な時間として浪費、いや利用することができたのだから、学校の勉強に重きを置かない僕のような人間にとっては天国以上の何物でもなかった。

底辺高校の生徒には、時間の使いみちを自分自身で決める権利が与えられている。

バイトに明け暮れるのも良いし、遊びや趣味、スポーツを極めるのも良い。なんなら商売を始めるのも面白い。難関資格の取得を目指してみたり、独学で大学受験に向けた勉強をしても良い。誰にも強制されず自らの意志で勉強していたら、学ぶことの楽しさに目覚めてしまったなんて話はよく聞く。かくいう僕もそれだった。

 

進学校の生徒は楽をしている

これは僕が底辺高校生だった頃に常々感じていたことなのだけれど、進学校の生徒って実は楽をしているのだ。何故なら、志望校への合格という分かりやすい目標を分かりやすい形で示され、それが正義だと認められている世界で生きているからだ。

目標を自分で決めるというのは、目標の達成できなかった後のことや、目標達成のために払った代償はもちろん、その目標が正しい物であるかまでに責任を持たなければならないということでもある。底辺高校の生徒が何かを成す際には、その責任の重さに耐え抜き、意識を高く保ち続けるメンタルが求められるのだ。

しかしそれは、高校受験を頑張らなかった己への報いでもあるのかもしれない。

案ずるな底辺高校生諸君。君たちの未来は決して暗いものではない。しかし口を開けて待っているだけで明るい未来がやってくるわけでもない。底辺高校に入学してしまった以上、どうせもう後はないのだから、与えられたアドバンテージを有効活用して、大きな賭けに出てみよう。

(C) 2013-2017 これは放熱ダクトですから!