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資本主義社会で最強の勝ち組に出会ってしまった

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2016年6月26日現在、僕の全財産は8円である。5円玉が1枚と、1円玉が3枚。どうしてこんな事態に陥ってしまったのかを語ると、それだけで3000文字くらい書けてしまいそうな気がするので、この場では割愛することにしておこう。

さて、僕はここ数日間、全くお金を使わない生活をしてきた。食料は備蓄のインスタントカレーとパスタ、水分はカルキ抜きした水道水、移動手段はロードバイクで、雨の日は徒歩。外での食事は持参した塩むすびオンリー。

もちろん電気、ガス、水道は当然のように使っているので、そのあたりの料金はおいおい払って行かなければならないことになるわけだけれど、基本的にここ数日間、財布からお金を出して何かを購入する機会は一度もなかった。

そして気が付いてしまったことがある。

 

お金なくても生きていけるじゃん!

いや、それは嘘だ。

正確には「ギリギリまで切り詰めて生活しても、人間って楽しく生きていけるじゃん」ってとこかな。21世紀を生きる現代人たるもの、電気、水道、ガスの恩恵を享受しない生活をするわけにはいかないし、飲料水が水道水オンリーってのも精神的に辛い。もちろんロードバイクの消耗品代だってあるし、雨の日は電車を使いたい。

お金ってなんだろう

18歳貧乏学生である僕が足りない頭を使って考えるに、お金ってのは時間そのものであり、可能性を作るものだと思う。たとえばお金を使えば電車に乗れる。電車に乗れば目的地に早く到着することができる。早く到着した分、時間を有効に活用して何か新しい仕事ができるのかもしれない。

もっと言うなら、スーパーで野菜や肉が買える。自分で野菜や家畜を育てる時間と手間を省いて、野菜や肉を手に入れることができる。コンビニで弁当が買える。野菜や肉を調理する時間と手間を省き、料理の腕を上げる時間と手間を省いて、美味しい料理にありつける。

21世紀を生きる多忙な現代人にとって、消費と引き換えに時間が手に入るお金は何よりも大事なものであり、それが無くては死んだも同然と言っても過言じゃないかもしれない。

 

じゃあ、多忙な現代人を辞めるっていう選択肢は?

たとえば、35歳独身の冴えない社畜サラリーマンが、簿給とはいえ安定している収入を捨てて、無職の身になってみるとする。そうするとどうだろう、目の前には暇な時間が無限に広がっているじゃないか。

多忙な現代人で無ければ、時間がインフレを起こしまくっている無職であれば、わざわざお金を消費してまで時間を手に入れる必要は無くなる。なんなら退職金で土地と道具を手に入れ、野菜や米でも育ててみよう。畑を耕し、種を蒔き、育て、収穫し、自分が食う。それでも人間は十分に生きていけるものだし、産業革命以前の農村の人々はこうやって生きていたはずだったのだ。

 

あなたには多忙な現代人を辞める勇気がありますか?

と問われると、大抵の人は無いと答えるだろう。何故なら人は欲の塊だからだ。

電気、水道、ガス、自分の足を使わずとも遠くに行ける電車、バス、自家用車、そしてその土地では育たない多種多様な食料品、電子機器はもちろん、病院へ通うことで手に入る健康、その他諸々の文明の利器、そんな物が無くても生きていけるのに、現代がそんな物で溢れているのは、人々が現状より豊かな生活を望み、それを次々と実現していった成れの果てだ。

 

資本主義社会で最強の勝ち組に出会ってしまった

仙台に来て最初に出来た友人のW君は、18年間の短い人生の中で見てきた人々の中でも、これ以上ない程に無欲な男だった。いや、今でも彼とは友人なのだから「だった」と過去形で語るのはおかしいか。でも過去形で語るほうが格好良いじゃん。許してよ。

W君は仙人のような男だ。食事は美味くなくとも腹に溜まればそれでいいようだし、女も要らないようだし、金も要らない故バイトもしない。そこにスマホがあって、ネット環境があって、微課金でソシャゲができて、ゲーセンがあって、格ゲーがあればそれで満足。

自分が人からどう見られているかも全く気にならないようで、人より外見に気を使っていない自覚がある僕を軽く飛び越していくレベルで外見に気を使わない。ヨレヨレでダボダボで黄色いシミの付いたシャツを着て、「髭剃りが面倒だ」と無精髭を生やし放題で街を闊歩する。その不潔な風貌はまるで仙人のようにさえ感じてしまう。

友人をはじめとした人間関係さえ煩わしい様子で、彼から僕に話しかけてくることなんて一週間に一回もあれば上出来なくらい。「いろんな人と関わったら偉いってわけでもないでしょ」は彼一番の名言だ。

傍から見ればおよそ幸せそうには見えず、おそらく高校時代のスクールカーストは最底辺だったであろう彼。しかし彼の人生は幸せそうに見える。多くを望まず、ありのままの自分を諦めるように受け入れる。それもまた素晴らしい生き方だとは思うし、是非見習いたい。

 

僕はそんな生き方ができるだろうか

うん無理。ごめん無理だわ。

残念なことに、底辺でありながらそれを認めず、頭が足りないのにも関わらずそれを認めたがらず、ひたすら背伸びして上を目指そうとする僕に、そんな生き方はできっこない。

ただし見習うことはできなくもない。具体的にはそうだ、お金に困っている時は、収入を増やそうとするよりも、支出を抑えたほうがずーっとずーっと楽だよーとか。あぁ、それって人間として絶対に兼ね備えていなければならないスキルじゃないか。

そんなことを考えるより、Google様に生活費を支給していただくまでの残り数日間、どうやって飢えを凌ごうかを考えるほうがずーっとずーっと有益であることは明白なので、この記事はここで終わりにしてしまおうと思う

(C) 2013-2017 これは放熱ダクトですから!